13. 日蓮思想についての管理人の基本的な考え

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日蓮思想についての私の基本的な考えを列挙します(このページは、随時内容を追加・編集していく予定です)。

【全体について】

日蓮の思想は、(絶対的ではないものの)一定の普遍性をもっており、現代においてもその内容を明らかにする意義は大きい。

【理論について】

日蓮思想は排他主義でも包摂主義でもなく、それらの止揚である(一往勝劣・再往一致)。

日蓮思想は自力でも他力でもなく、それらの止揚である(自他共力)。

精神と身体は相互に影響しあい、分離することができない。両者に優劣関係や主従関係はない(色心不二)。

自己と環境は相互に影響しあい、分離することができない。両者に優劣関係や主従関係はない(依正不二)。

仏界とは、目指すべき特定の場所や境地ではなく、人や物や環境が本来有する内面的・外面的な作用の一つである。これは地獄から菩薩の九界も同様である(十界互具)。

成仏とは、修行の結果として仏の境地に至ることではなく、修行の過程において思索や行動の中に仏の作用を現すことである。よって、修行(因行)と結果(果徳)は一体不可分である(因果倶時・因果一如・修証一如)。

日蓮を本仏とする説も、釈迦を本仏とする説も日蓮の本意ではない(本仏思想や人本尊思想は日蓮自身になかったとする戸頃重基氏の説を支持)。

日蓮正宗創価学会が主張する血脈論・師弟不二論は日蓮の教説とは無関係である。

【修行法について】

唱題行は、一念三千の観心修行である。曼荼羅はその補助となる。

曼荼羅は帰依の対象である法本尊を具象化したものに過ぎず、それ自体に神秘的な力はない。

拝する本尊の形態は、曼荼羅と久遠釈迦立像の両方を認める。ただし、久遠釈迦立像は人本尊ではなく、法本尊を擬人化したものであり、帰依の対象は曼荼羅の場合と異ならない。

唱題は声に出さずに念じるだけでも有効である(題目の受持に意味がある)。

唱題の効果は、回数や時間と比例しない。

曼荼羅の「認定」や「開眼供養」は、日蓮思想として認めない。

創価学会について】

創価学会の教義や活動には問題が多く、少なくとも現状は「日蓮仏法を唯一正しく実践する団体」とは呼べない。

三代会長、特に牧口常三郎氏と池田大作氏の思想には、正当に評価されるべき点がある。

 

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