22. 五重の相対の現代的解釈1(内外相対)
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五重の相対の第一である内外相対は、仏教(内道)と仏教以外の教え(外道)を比較して、仏教が優れていることを説明したものです。
仏教が他の教えに対して優位性を主張できる根拠。それは「世界観の解体と構築」という観点をもっていることです。
これについて説明する前に、まず、仏教以外の一般的な教えがどのようなものであるかを儒教とバラモン教(ヒンドゥー教)を例に取って説明したいと思います。
まず、儒教とは、簡単に言えば上下関係の秩序の教えです。主君、両親、師匠といった立場が上の人に対して、立場が下の人は従順であることが美徳とされます。そして、立場が上の者は、よきリーダーとして振る舞うことが求められます。儒教が中国で重宝されたのは、広大な国土を効率よく統治する必要があったからです。王朝によるピラミッド型の支配構造を維持するために、儒教は最適な教えであったといえます。日本でも、江戸幕府において儒教は特に重視されました。
次に、バラモン教とは、輪廻と業の思想に基づく教えです。バラモン教では、死ぬと霊魂が肉体から抜け出し、別の新しい肉体に宿るとされます(輪廻)。また、次にどんな肉体に霊魂が宿るかは、前世での行いの善し悪しで決まると考えられています(業報思想)。この考え方は、支配階級にとってとても都合のよいものでした。なぜなら、奴隷や不可触民などに対し、「お前らの暮らしぶりが悪いのは前世で悪いことをしたからだぞ」と責任転嫁できるからです。また、「来世もっと良く生まれたかったら、おとなしく言うことを聞け」というように、彼らを簡単に支配することができます。バラモン教は、カースト制度というピラミッド型の支配構造を維持するために最適な教えであると言えるでしょう。
大事なことは、儒教もバラモン教も「固定的な世界観」を持っているという点です。儒教であれば、礼儀、徳、目上の人、目下の人といった要素から構成される世界観を、バラモン教であれば、霊魂、業、カースト、といった要素から構成される世界観を持っています。そして基本的にこれらの教えにおいて、その世界観は不変であり固定的です。
一方、仏教は、こうした固定的な世界観を解体し、新たな世界観を自ら構築することができる点に特色があります。
佐々木閑氏は、宮崎哲弥との共著『ごまかさない仏教』において、以下のように述べています。
【仏教は、いわゆる一般的な「宗教」という枠組みで捉えるよりも、「自己と世界の関係」を根本的に組み替えるための「思考ー実践の体系」だと考えた方が、その本質をより把握しやすいと思います。】
要するに、仏教とは自己と世界との在り方に関する認識を転換するための教えだということです。
なぜそのような認識の転換をする必要があるかというと、個人の意識に染み付いた固定的な世界観は、環境に流される惰性的な生き方、権威に盲従する生き方、優越感や劣等感に囚われる生き方などを促してしまうからです。
他者や社会から与えられた既成の世界観に従って生きることは、安全な生き方である一方、自己を抑圧する生き方でもあります。仏教は、こうした意識下における既成の世界観を解体することで、凝り固まったものの見方や考え方から離れ、真に自由な生き方を可能にすることを教えているのです。俗な表現を用いれば、仏教とは「脱洗脳術」であると言ってよいかもしれません。
日蓮教学における「変毒為薬」や「願兼於業」などの考え方も、こうした仏教の考え方に基づいていると思われます。すなわち、対象に対する認識を「悪い」ものから「良い」ものに転換するという考え方です。このように一旦認識が転換されれば、その人は以前とは違った(再構築された)世界観の中で生きていると言えます。その意味で「世界観の再構築」は「価値観の再構築」と言い換えても良いかもしれません。
この「世界観・価値観の解体・構築」という要素が有るか無いかが、仏教と非仏教を隔てる決定的な違いであると私は考えています。仏教は、認識の転換によって真に主体的な生き方を確立することを説いているという点において、他の教えに対する優位性を主張できるのです。
次回は、大小相対について説明したいと思います。
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