10. 国立戒壇は是か非か

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こんにちは。いつもありがとうございます。

 

前回、創価学会の政界進出のもともとの目的が「国立戒壇の建立」だったことを説明しました。今回は、この「国立戒壇の建立」が日蓮の本意に適っているかどうかを検証したいと思います。

 

 

まず、「国立戒壇の建立」の根拠となっているのは、三大秘法稟承事(三大秘法抄)における
戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃至を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣ならびに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。(御書p1022)」
の部分です。

 

日蓮正宗は「霊山浄土に似たらん最勝の地」を富士山のことであると解釈しています。また、「勅宣ならびに御教書を申し下して~戒壇を建立すべき者か」とあることから、天皇や将軍などの国主の立場にある者の命令が、戒壇建立の必要条件であるとされます。

 

この三大秘法稟承事ですが、日蓮の真筆が存在せず、内容に中古天台思想の影響が見られることなどから、偽撰であるという説が一般的です。また、「戒壇」の建立の場所や条件を指示するような遺文が他に存在しないことも、三大秘法稟承事の信頼性が低いことの根拠になっています。

 

おそらくですが、日蓮が示した「三大秘法(本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇)」のうち、第3の「本門の戒壇」についての具体的な説明が遺文中にほとんど見られなかったために、日蓮の思想を補完する目的で三大秘法稟承事が創作されたのだと考えられます。

 

「本門の戒壇」とは一体何であるのか、という議論は古くからなされ、様々な説が提唱されていますが、未だ確定的な説はありません。

 

いずれにせよ、問題なのは、三大秘法稟承事が極めて信憑性の低い遺文であるにも関わらず、あたかもそれが日蓮の絶対的な遺言であるかのように喧伝して弘教が行われたことです。特に、戸田城聖氏は御書全集の編纂の中心的な立場にいたことから、三大秘法稟承事の日蓮遺文としての信憑性の低さを認識していたと思われます。

 

国立戒壇の建立」という具体的な目標設定は、「大偉業を成し遂げるんだ!」という人々の一体感と熱狂を引き起こすのに大きく貢献したと思われます。現在、創価学会よりも顕正会の方々の方が熱心に弘教を行っている印象がありますが、顕正会は「国立戒壇の建立」という目標を今でも持ち続けているからかもしれません。

 

この「国立戒壇」の例からも、日蓮遺文の真偽を慎重に判断することは極めて重要であることが分かると思います。日蓮の教えを実践するつもりが、まったく見当違いなことを実践してしまう可能性があるからです。その意味で、日蓮遺文に基づいて教団の教義を決める中心的立場にいる者の責任は極めて大きいと言えるでしょう。しかしながら、創価学会にはこうした文献学的な成果と誠実に向き合う姿勢がまったくと言っていいほどありません。

 

創価学会は近年、オープンな宗教のイメージ作りに励んでいますが、いくら表面的な部分を繕っても、活動の実態が閉鎖的・独善的なカルトだったのでは人はついてきません。「体曲れば影ななめなり(御書p992)」。この言葉の意味を学会は再確認すべきだと思います。

 


次回は、「公明党の支援」が日蓮思想から正当化できるかどうかを検証したいと思います。また、創価学会がスローガンとして掲げていた「王仏冥合(政治と仏法の一体化)」の考えが日蓮にあったかどうかを検証したいと思います。

 

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