0. はじめに

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簡単な自己紹介:二世、非活動家、東京在住、創価学園に3年間在籍

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23. 五重の相対の現代的解釈2-1(大小相対・前編)

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こんにちは。前回の内外相対に引き続き、今回は大小相対についての私の理解を説明したいと思います。

 

前回記事


大小相対とは、仏教のうち大乗仏教小乗仏教を比較し、大乗仏教が優れることを説明したものです。

 

小乗仏教」という名称は比較的新しい大乗仏教側から旧来の仏教に対して投げつけられた貶称であるため、今日では上座部テーラワーダ)仏教」という呼称が用いられるのが一般的です。しかし、今回は分かりやすさを優先して「小乗仏教」という名称を用いたいと思います。

 

まず小乗仏教大乗仏教が出現した歴史的な経緯を簡単に説明します。

 

はじめに釈迦(B.C. 5世紀頃)が悟りを開き、彼が教えを広める過程で仏教の教団が成立しました。教団は次第に勢力を拡大していき、アショーカ王(B.C. 2世紀頃)の時代にはバラモン教に劣らないほどの勢力になりました。大体の区分ですが、アショーカ王以前の仏教を原始仏教アショーカ王以降の伝統保守的な仏教を小乗仏教、そして、さらに後に現れた革新主義的な仏教を大乗仏教と呼ぶことが多いです。

 

 

小乗仏教の教団は、アショーカ王などの庇護を受けながら大きな権威をもって社会に君臨しており、初期の原始仏教には見られない差別的な考え方を多く持っていました。例えば、出家者のみが悟りを開くことができるという「出家至上主義」、男性のみが悟りを開くことができるという「男性至上主義」などです。また、無限の知恵を備えた仏になることができるのは釈迦のみであり、その他の者は煩悩を滅尽した阿羅漢にしかなれないとされました。さらに、小乗仏教の出家僧らは人里離れた山林や僧院で修行することが多く、民衆と交わることを避ける傾向がありました。

 

そうした中、こうした旧来の仏教の在り方を差別的・消極的・権威主義的であると批判し、新しい仏教の在り方を唱える者たちが現れます。彼らは旧来の仏教を小乗仏教(小さな乗り物の仏教)」と呼び、救いが限定的な劣った教えであると主張しました。その一方で、彼らは、自らの仏教を大乗仏教(大きな乗り物の仏教)」と呼び、あらゆる者を差別なく救うことのできる教えであることを主張しました。(大乗仏教の成立時期はB. C. 1世紀頃)

 

その後、小乗仏教は、スリランカミャンマータイカンボジアラオスなどの南方に広まったことから南伝仏教とも呼ばれています。一方、大乗仏教チベット中国朝鮮日本などの北方に広まったことから「北伝仏教」とも呼ばれています。

 

小乗仏教部派仏教とも呼ばれることからも分かる通り、考え方の異なる様々な派閥が存在します。また、大乗仏教小乗仏教と同様に一枚岩ではなく、様々な派閥があります。そのため、小乗仏教大乗仏教を単純に比較することは非常に困難です。しかし、小乗仏教大乗仏教のおおまかなコンセプトをそれぞれ抽出し、そのエッセンスを比較することは比較的容易であると思われます。次回は、「空」「方便」という大乗仏教に特徴的な2つの考え方にもとづき、大乗仏教小乗仏教に対してその優位性(救いの有効範囲の広さ)を主張できる具体的な根拠を示したいと思います。

22. 五重の相対の現代的解釈1(内外相対)

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五重の相対の第一である内外相対は、仏教内道)と仏教以外の教え外道)を比較して、仏教が優れていることを説明したものです。

 

仏教が他の教えに対して優位性を主張できる根拠。それは世界観の解体と構築という観点をもっていることです。

 

これについて説明する前に、まず、仏教以外の一般的な教えがどのようなものであるか儒教バラモン教ヒンドゥー教)を例に取って説明したいと思います。

 

まず、儒教とは、簡単に言えば上下関係の秩序の教えです。主君、両親、師匠といった立場が上の人に対して、立場が下の人は従順であることが美徳とされます。そして、立場が上の者は、よきリーダーとして振る舞うことが求められます。儒教が中国で重宝されたのは、広大な国土を効率よく統治する必要があったからです。王朝によるピラミッド型の支配構造を維持するために、儒教は最適な教えであったといえます。日本でも、江戸幕府において儒教は特に重視されました。

 

次に、バラモン教とは、輪廻の思想に基づく教えです。バラモン教では、死ぬと霊魂が肉体から抜け出し、別の新しい肉体に宿るとされます(輪廻)。また、次にどんな肉体に霊魂が宿るかは、前世での行いの善し悪しで決まると考えられています(業報思想)。この考え方は、支配階級にとってとても都合のよいものでした。なぜなら、奴隷や不可触民などに対し、「お前らの暮らしぶりが悪いのは前世で悪いことをしたからだぞ」と責任転嫁できるからです。また、「来世もっと良く生まれたかったら、おとなしく言うことを聞け」というように、彼らを簡単に支配することができます。バラモン教は、カースト制度というピラミッド型の支配構造を維持するために最適な教えであると言えるでしょう。

 

大事なことは、儒教バラモン教も「固定的な世界観」を持っているという点です。儒教であれば、礼儀目上の人目下の人といった要素から構成される世界観を、バラモン教であれば、霊魂カースト、といった要素から構成される世界観を持っています。そして基本的にこれらの教えにおいて、その世界観は不変であり固定的です

 

一方、仏教は、こうした固定的な世界観を解体し、新たな世界観を自ら構築することができる点に特色があります。

 

佐々木閑氏は、宮崎哲弥との共著『ごまかさない仏教』において、以下のように述べています。

 

【仏教は、いわゆる一般的な「宗教」という枠組みで捉えるよりも、「自己と世界の関係」を根本的に組み替えるための「思考ー実践の体系」だと考えた方が、その本質をより把握しやすいと思います。

 

要するに、仏教とは自己と世界との在り方に関する認識を転換するための教えだということです。

 

なぜそのような認識の転換をする必要があるかというと、個人の意識に染み付いた固定的な世界観は、環境に流される惰性的な生き方、権威に盲従する生き方、優越感や劣等感に囚われる生き方などを促してしまうからです。

 

他者や社会から与えられた既成の世界観に従って生きることは、安全な生き方である一方、自己を抑圧する生き方でもあります。仏教は、こうした意識下における既成の世界観を解体することで、凝り固まったものの見方や考え方から離れ、真に自由な生き方を可能にすることを教えているのです。俗な表現を用いれば、仏教とは「脱洗脳術」であると言ってよいかもしれません。

 

日蓮教学における「変毒為薬」や「願兼於業」などの考え方も、こうした仏教の考え方に基づいていると思われます。すなわち、対象に対する認識を「悪い」ものから「良い」ものに転換するという考え方です。このように一旦認識が転換されれば、その人は以前とは違った(再構築された)世界観の中で生きていると言えます。その意味で「世界観の再構築」「価値観の再構築」と言い換えても良いかもしれません。

 

この「世界観・価値観の解体・構築」という要素が有るか無いかが、仏教非仏教を隔てる決定的な違いであると私は考えています。仏教は、認識の転換によって真に主体的な生き方を確立することを説いているという点において、他の教えに対する優位性を主張できるのです。

 

次回は、大小相対について説明したいと思います。

 

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