14. 仏法の根本は師弟にあらず

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仏法の根本は師弟である」と創価学会は主張しています。しかし、これは仏教に対する適切な認識ではありません。

 

確かに、仏教の中にも師弟という要素を重視する宗派は存在します。特に、密教ヒンドゥー教の修行法を取り入れた神秘主義的な大乗仏教)では、師弟の関係が特に重要とされ、師の存在なしに悟りは得られないとされることもしばしばあります。

 

しかし、仏教の一般的な考え方としては、重要なのは飽くまで「自己」と「」であり、師が特別に重視されることは稀です。原始仏典の大パリニッバーナ経では、「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。(訳・中村元氏)」との釈迦の言葉が伝えられており、他人を根本としてはならないことが示されています。

 

また、日蓮も「依法不依人(法に依りて、人に依らざれ)」という大般涅槃経に説かれる釈迦の言葉を自身の著作に繰り返し引用しています。

 

さらに、日蓮自身の言葉を見ても、

人を以て知識と為すは常の習いなり然りと雖も末代に於て真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証在り守護国家論、御書p66)】

と、他者ではなく法を判断基準とすべきことを述べており、さらに

是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母・師匠等の心に随うべからず(報恩抄、御書p293)】

と、悟りを得ようと思ったならば親や師などの目上の人に従ってばかりいてはならないことを述べています。

 

つまり、日蓮自身に師弟関係を特別に重んじたり、師匠を絶対視する考え方はまったくなく、むしろ師であっても盲信することなく疑ってかかれと言っているんですね。

 

では、なぜ創価学会がここまで師弟や師を重視するかというと、その源流はやはり日蓮正宗にあります。日蓮の死後、日蓮正宗は徐々に台密天台密教)の要素を吸収していき、その過程で、血脈相承師から弟子への法の相続)という密教の考え方を導入しました。また、第26代法主の日寛に至っては、天台宗恵心流口伝法門(極度に密教化した天台法門)をほぼそのまま流用する形で、日蓮を永遠普遍の師とする人法一体日蓮本仏思想を作り上げました。そして創価学会は、この密教化した日蓮正宗の教義をさらに流用することで、本来の日蓮思想とは全く異なる「師弟不二」や「師弟の血脈」といった師匠崇拝とも言える師弟観を生み出していったのです。

 

これは知人の本部職員の方から聞いた話ですが、タイなどの伝統的仏教国では創価学会の考え方が全く受け入れられないそうです。「何で仏教なのに他人を根本にしてるの?」と不思議がられるのだそうです。まあ、そりゃそうですよね。

 

ちなみに将棋の世界では、弟子が師匠に将棋で勝つことを「恩返し」と言います。とても爽やかな師弟観です。弟子が師匠から自立し、新たな道を確立することこそが、本当の意味での「師への報恩」なのだと私は思います。

 

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