9. 政界進出の真の目的

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こんにちは。今回は「政界進出の真の目的」というテーマでお話をしたいと思います。

 

創価学会は、日本の数ある宗教団体の中でも、際立って政治活動に熱心なことで有名です。国政選挙ともなると学会全体がお祭りムード(?)になり、バリ活の学会員たちは勇んで公明党の集票活動に奔走します。

公明党は、外向きには独立した政党という体裁をとっていますが、内実は創価学会の政治部門です。そして、創価学会が最も力を入れて取り組んでいる活動は、池田大作氏が主張するような文化活動でも教育活動でもなく、もっぱら政治活動、それも公明党の支援です。

創価学会は仏法による社会変革を謳っていますから、その意味では政治参加に積極的なのは不自然なことではありません。しかし、私が昔から疑問に思っていたのは、文化・教育・政治・経済・科学などの分野はどれも社会を支える大切な要素なのに、なぜ学会は政治にのみに注力するのかということでした(文化的な活動も勿論あるが、ウェイトは低い)。

その疑問の答えは、「そもそも、なぜ創価学会は政界進出したのか」という歴史の中にありました。

創価学会は元々、日蓮正宗の在家信徒団体でした。この日蓮正宗の教えの中に「国立戒壇の建立」というのがあったんですね。「国立戒壇」というのは、日蓮の本尊を安置するための国家施設のことで、靖国神社のようなものをイメージして貰えれば良いと思います。「国立戒壇」という用語は、明治時代に国柱会の田中智学によって提唱されたのですが、もともと日蓮正宗は国主の勅令による戒壇の建立を目指していたこともあり、「国立戒壇」の用語を積極的に用いていました。

牧口常三郎氏が創設した創価学会(当時は創価教育学会)は、日蓮思想に基づく教育改革を最大の目的としていましたが、戦後、戸田城聖氏はこの方針を大きく転換し、 「国立戒壇の建立」を創価学会の最大の目的として掲げました。

戸田氏は
「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である(大白蓮華1956年2月号)」
われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。(大白蓮華1956年8月号)」
と述べており、池田氏
国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華第59号)
と述べています。

つまり、戦後の創価学会の目的は「国立戒壇の建立」、すなわち日蓮正宗を国家公認の宗教にすることに外ならなかったのです。あの75万世帯の折伏大行進も、「国立戒壇」のワードを全面に押し出して行われていました。当初から創価会にとって広宣流布というのは、政治的手段を用いることが前提だったのです。

戸田城聖の亡き後、創価学会はいわゆる「言論出版妨害事件」を起こしたことにより、世間から強いバッシングを受け、結果として「国立戒壇」の考えを取り下げることになります池田氏には国立戒壇への強いこだわりがなかったと考えられる)。しかし、当初の「政治活動=国立戒壇の建立=広宣流布」というマインドは、現在も創価学会の中に残り続けており、学会員が公明党支援に並々ならぬ情熱を傾ける主な要因となっているのです。

ちなみに、「国立戒壇」の建立を至上命題と考えていた顕正会(当時は妙信講という日蓮正宗の講の1つだった)は、創価学会国立戒壇の考えを取り下げたことと、日蓮正宗がそれを容認したことを強く批判しました。この事態に収集がつかなくなった結果、日蓮正宗顕正会を破門することになったのです。今でも顕正会は「国立戒壇」の建立を最大の目的として弘教活動を続けています。

 

いかがでしょうか。本来であれば、学会員はこうした歴史的な背景を知っていて然るべきなのですが、学会執行部が上手いこと過去を隠蔽してきたため、一般の会員がこうした事実を知ることは殆どありませんでした。しかし、前回も述べた通り、近年のインターネットの発達によって会員はこうした情報に容易にアクセスできるようになりました。この情報化の時代に下手な隠蔽をするのは、むしろ逆効果な気がします。

 

次回は、「国立戒壇の建立」や「公明党の支援」といった活動が、日蓮教学から正当化できるかどうかを考察してみたいと思います。

 

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