8. 勤行は必要ない

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皆さん、勤行してますかーーーー!?

 

私は約2年間まったくしておりません(笑)

 

創価学会で長いこと勤行を続けてきた方は意外に思うかもしれませんが、日蓮は勤行(読経を含む一連の所作)を正式な修行とは定めていません日蓮が正式な修行として定めたのは、南無妙法蓮華経の唱題だけです。

 

日蓮は上野殿御返事で、「此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆヽしきひが(僻)事なり(御書p1546)」と述べ、唱題のみを修行として用いるべきであると主張しています。

 

また、四信五品抄では、法華文句の「初心は縁に紛動せられて正業を修するを妨げんことを畏る(御書p341)」を引用した上で、「直専持此経と云うは一経に亘るに非ず専ら題目を持つて余文を雑えず(御書p341)」と述べ、修行は唱題だけで十分であり読経などのその他の修行はむしろ唱題の妨げになると主張しています。

 

学会員はよく「唱題は主食、勤行はおかず」と説明していますが、これは日寛日蓮正宗26代法主)が「当流行事抄」において「助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す。譬えば灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し」と述べたことに基づいています。つまり日蓮教学ではなく日寛教学なんですね。

 

ですから、勤行が面倒だと感じている方は、やめてしまっても問題ないと思います。やめても罰は当たらないので安心してください。

 

ちなみに私は勤行はしなくなりましたが、唱題は今でもしています。でも長時間はしません。長くて1~2分程度です。もし唱題も苦痛だと感じる方は、それもやめてしまって問題ないと思います。私が唱題をする理由は、それが観心修行(≒瞑想)として有効だと思うからです。

 

しかし気になるのは、勤行が一体いつ日蓮門流の正式な修行として定められのかということですね。少なくとも、日蓮や日興の著作にはそうした言及がありませんでした。どなたかご存知でしたら教えて頂けると幸いです。

 

それではまた(・◇・)/

 

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