3. 自教団の本尊じゃなきゃダメ?
前回、創価学会のカルト性が日蓮正宗の①日蓮本仏説と②血脈思想に拠るところが大きいことを説明しました。今回は、創価学会と日蓮正宗の共通点として③曼荼羅本尊の差別を考えたいと思います。
日蓮正宗は「本門戒壇の大御本尊」を唯一の本尊としており、その他の曼荼羅本尊を拝する場合も、飽くまで「本門戒壇の大御本尊」への信仰が前提となっています。しかも、本尊は法主の「開眼供養」を受けたものでなければならず、そうでないものは、たとえ日蓮本人が書いた本尊であっても功徳はないとしています。
創価学会は2013年に「本門戒壇の大御本尊」への信仰は放棄しましたが、「広宣流布の御本尊」(会則に明記)と呼ばれる新たな板曼荼羅を大聖堂に安置しました。また、2015年4月1日の聖教新聞では、
【「広宣流布のための御本尊」を弘通し、「信心の血脈」を受けた創価学会が、御本尊を認定し、授与することは当然であり、御本尊は等しく「本門の本尊」であるが、学会員はあくまでも、学会認定の御本尊を受持し、無限の功力を現して、広宣流布に邁進していく】
としており、あくまで弘通の対象は「広宣流布の(ための)御本尊」であり、その他の本尊は学会が認定したものに限り受持の対象となるという考えをとっています。
こうして比較すると、創価学会の「御本尊の認定」と、日蓮正宗の「開眼供養」が非常に似ていることがはっきりしてきます。
日蓮自身に曼荼羅本尊を差別する考え方はありませんし、曼荼羅本尊を「開眼供養」したり「認定」するといった考え方もありません。よって、曼荼羅本尊の差別は自教団に都合のよい後世の創作教義と言えるでしょう。
次回は、④教団の絶対視というテーマで、日蓮正宗と創価学会の共通点を見ていきたいと思います。
次の記事